岡田劇場
出典: 石巻Wiki
岡田劇場(おかだげきじょう)の席数312席/[SCOPE]/DOLBY 宮城県石巻市にある映画館です。オカダプランニングという会社が運営しています。歴史のある映画館で木造建築です。
[編集] 歴史
幕末のころ(1850年ごろ)、住吉の商人「千葉源七」は現在のマーケットのような雑貨販売所と寄席劇場を併設して、劇場を「千葉座」と命名した。そして、不定期ではありましたが、江戸の歌舞伎一座や落語家、講談師を石巻地方に呼んで石巻地域民の娯楽に供した。 その後、明治十九年(1886年)に内海橋の架設者「内海五郎兵衛」に譲渡され、千葉座の建物を取り払って、劇場を新築。「内海座」と改名して経営された。
明治二十四年(1891年)には架設工事に土建として従事した岡田谷組「八城重兵衛」の所有に移り、劇場名も「岡田座」と改名された。その後重兵衛により、当時一流の歌舞伎、新喜劇、落語、諸芸能が連日のように上演された。 昭和八年(1933年)内海橋の架替工事を機に、岡田座も築地の歌舞伎座を模して当時地方では珍しい舞台装置の整った芝居小屋として新築され、以来「八城さだよ」によって菅原一蔵に興行を一任された。 昭和二十年(1945年)七月、軍の命令で強制撤去を余儀なくされ解体された。この時の回り舞台は今なお、舞台の下に存在している。 昭和二十二年(1947年)「菅原一蔵」により芝居小屋として岡田座は再建され、昭和二十三年、東映の発足と同時に映画館として改築、「岡田劇場」と改称した。その後何度かの改修を経て現在に至る。
[編集] 思い出
「千葉座」命名から現在に至るまで、数多くの人々に思い出を送り続けてきました。
早稲田大学で文学者だった「島村抱月」が大正二年(1913年)に女優「松井須磨子」と共に創設して間もない芸術座のメンバーを引き連れて来石、大きな反響を呼びました。
また、昭和二年(1927年)には女優「岡田嘉子」が男優「竹内良一」との恋の逃避行中に石巻に立ち寄り、二人で岡田座の舞台に立ったと言うラブロマンスもあります。
昭和十九年(1944年)には、「尾上菊五郎」「澤村宗十郎」の合同記念公演の歌舞伎興行で話題を呼びました。
今は亡き石巻出身の喜劇役者「由利徹」は子供の頃、便所からぺろんこ(無銭入場)して劇場に通 い続け、カンカン踊りを見て「おしゃまんべ」を思いつき、芸能界入りを決意したと言っておりました。名言「お客様は神様です」の「三波春夫」は、橋の上にたくさんの人の行列を見て公演の前に、「3曲増やしましょう」といったそうです。あの昭和の歌姫「美空ひばり」は、石巻の空に天使の声を三度も響かせています。
そして映画館になったころには、子供のころの「石ノ森章太郎」が、中田町より約二時間も自転車をこいで、映画を観に来ていたそうです。
その後も劇場以外の場所で、歌謡ショウや芝居などだけでなく、いろいろな興行を行いました。 大相撲巡業を昭和二十二年(横綱羽黒山)と、昭和六十二年(横綱千代の富士)の2回石巻準場所を行っている。あの「ジャイアント馬場」率いる全日本プロレスの石巻初興行は、なんと石巻小学校の校庭でした。
幕末から明治、大正、昭和そして平成の現在、150年の歴史の中でたくさんの人たちがこのステージに立ち、歌や芝居そして映画で地元の人々に娯楽と文化を提供し、観客の笑いや感動、そして出会いを今なお、おくり続けています。
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